
이종석
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李鍾奭(45)NSC事務次長は、北朝鮮を研究してきた学者出身である。世宗研究所南北関係研究室長を経た彼は、前DJ政府において、林東源前青瓦台特補の下で、「太陽政策の伝道師」と呼ばれ、現盧武鉉政府でも、対北包容政策の継承発展に力を注いでいる。
京畿道南楊州生まれである彼は、ソウル龍山高を出て、ソンギュングァン大行政学科(78学番)を卒業した。大学在学時代、平凡な考試準備生だった彼は、大学卒業後、暫時職場生活を行い、1987年、ソンギュングァン大大学院政治外交学科に入学し、1988年、進歩性向の少壮学者達が結成した「韓国政治研究会」に加入して、本格的に北朝鮮を勉強し始めた。当時、大学街には、いわゆる「北韓を正しく知る」ブームが起こっていたが、彼もやはり、同僚の大学院生と一緒に、北朝鮮の原典を入手し、主体思想、金日成抗日武装闘争史等を勉強した。いわゆる「独立門研究会」と呼ばれたこの
原典勉強の集まりには、当時高麗大大学院生だったチョン・ヘグ現ソンゴンフェ大教授とソウル大大学院生だったチョン・デファ、サンヂ大教授等が参加したという。
李鍾奭次長の博士学位論文は、「朝鮮労働党の指導思想と構造変化に関する研究」(1993年)。彼は、この論文において、北朝鮮を北朝鮮内部の作動論理を通して
入ってみるいわゆる「内在的接近論」の立場を取りつつ、主体思想と北朝鮮権力構造を批判的に分析している。
彼は、博士学位取得後、大学講師等を経て、1994年9月、林東源当時世宗研究所研究委員の助けで、世宗研究所に入り、以後、活発な寄稿と放送出演等を通して、対北包容政策を強調してきた。YS政権時は、政権側に「冷戦・守旧勢力との決別と政権安保手段として利用されてきた国家保安法廃止」等を主張もした。
彼は、太陽政策を立てたDJ政権が出帆し、スポットライトを受け始めた。DJ政府において、引き続き統一部政策諮問委員として活動し、2000年6月、南北頂上会談時は、南側代表団の一員として参加した。
彼が盧武鉉大統領と因縁を結んだのは、2001年夏頃。大権を準備していた盧大統領に外交・安保政策関連「個人授業」を行った。2002年1月からは、当時ユン・ヨングァン、ソウル大教授、ソ・チュソク国防研究院研究委員、ソ・トンマン、サンヂ大教授と初めからチームをまとめ、盧大統領の諮問に応じた。このチームは、以後、大統領職引受委統一・外交・安保分科にそのまま移り、新政府出帆後には、外交通商部長官、NSC事務次長と戦略企画室長、国情院企調室長等の重責が
託された。彼は、大統領職引受委員時代、大統領当選者特使の資格で北朝鮮を訪問もした。
昨年に発刊された自身の著書において、北朝鮮を「敵対的な兄弟」と規定した彼は、北核問題による朝鮮半島危機状況の厳重さと実用主義外交の重要性を強調しつつも、対北包容政策の一貫した推進を主張している。現政府の対北政策の基礎を平和反映政策
と命名した彼は、5月の大統領訪米後、あるマスコミ寄稿文において、このように書いた。「朝鮮半島の平和と安全のため、我々は、米韓関係と南北関係という
しばしば緊張して見える2軸を調和するように良く管理しなければならない。ここで重要なのは、米韓同盟と南北関係を互いに分離させず、有機的に結合させて見る総合的な戦略である。即ち、我々の安保態勢を強化し、経済的利益を守護する
のに、米韓関係は、決定的な重要性を帯びる。反面、南北関係改善も、核問題解決のために、朝鮮半島の変化のために、必ず追求しなければならない課題だ」。
彼は、ストレス解消用に楽しむ釣りの外には、勉強が唯一の趣味だという。最近も、日曜日になれば、世宗研究所に出て、本を読む姿がしばしば目に付く。
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最終更新日:2004/03/19